アニメや漫画やゲームを他人と繋がるための手段としてる人たちが苦手だったんですが、何のことはない、私自身がそういう人間だと言うのが分かってしまった
私自身が、それらを手段ではなくて、ただ味わい楽しむことを目的……にしてなかったのだ
頭空っぽにして、余計なことは考えないで、対象そのもこを全力で楽しんでいないのは私だった
全部が全部、「これをしたら◯◯な面で得があるかも」という下心があってのことだった
つまり、趣味を自分を飾るためのアクセサリーとしてしか見てなかったのは誰でもない自分自身だったというわけ
だから、好きなものがどういう層に人気があるのかが気になる(一般的に見て“イケてる”人たちに人気なのか、そうでない人に人気があるのか)し、もし“イケてない”層に人気がある作品ならファンであることを隠すんだ
恥ずかしい奴、キョロ充みたいなムーブメントだな
みたいなっていうかそのものじゃん
誰がなんと言おうと好きなものは好きと高らかに公言してるオタクの人たちの方がかっこいいよ
リア充の人ってかなり大胆に「私、銀魂けっこう好きだったw」って言ったりするじゃん
これが羨ましい
私なんか、(銀魂は痛い女オタクが好む漫画の代表格だから好きって言うのやめとこ…)ってなる
「何をどう楽しむのがイケてるのか」
「イケてる方法でイケてるものを楽しむのが至高」
こういう考えも他人へのマウント精神から出てるんだ
何でこんなに他人の楽しみ方が気になるのか分かった
ケチをつけたいからだった
彼らは間違っていて、自分の方が正しくてイケてるのだ(!?)と
自分宛じゃないクソリプにイラつくのも、「自分が正しいと証明したい」のに出来ない、そういうフラストレーションから来てるんだ
じゃあ何故こんなに自分の正しさ(?)をアピールしたいのかと言うと、やっぱり自分に自信が無いからだろうな
(;_;)
課題
・誰に何言われても好きなものを好きと言う練習
・今やってることに真剣に取り組む
・あとやっぱり、太ってる自分はどう頑張っても好きになれないのでもっと痩せる