真人間になる記

遅れてきた反抗期の彼氏大好き芸人
遅れてきた反抗期の彼氏大好き芸人

Emigrate from the Web to the___/石石混淆インターネット | Dec. 31, 2019

年末のテレビ番組表をみるたびに残念に思うのは毎年のことだが、今年は特にガッカリした。心の底からつまらないと思う。どれも全く興味を惹かれない。これはテレビ番組が面白くないからではなくて私が決定的に変わってしまったせいだろう。

ねえ、みんな本当に紅白歌合戦に興味あるの?笑ってはいけない24時も本当に本当に面白いと感じているの?
その「興味」「面白い」の正体って、話題を共有して他の人と盛り上がることじゃない?



インターネットが普及したらテレビは衰退すると言われて久しい。だが実際はどうだ。確かに現実での存在感は薄れつつあるが、逆にインターネット上でのテレビのそれはむしろ増しているように思う。
視聴と同時に感情を吐き出す。番組への感想や意見で自分をアピールする。あるいは同時多発的に生じる他人の感想とまぎれることで一体感を得る。
こんな人たちがネット上にはうじゃうじゃいるだろう。インターネットの普及がもたらしたものはテレビの衰退などではなく、インターネットの“一般”化だ。
何が言いたいかというとつまり、インターネットは群れて行動するのが好きな“普通の”人たちの居場所になってしまったということだ。

私がネット上の雰囲気の変わり目に気付いたのは確か2012年から2013年くらいのことだ。ネットに滞在する時間を減らすことを半年取り組んだあとだったっけ。このウェブから離れていた間に私は孤独を学んだ。本当に自分の心を満たすものは、多人数で盛り上がらずとも一人で充分に楽しめるのだと。そしてひさびさにネット上の大通りへ出てみたら居心地の悪さに辟易したのだった。

それまでインターネットはオタク層のものという認識だった。ところがじわじわと一般人--非オタク--の数が増えてきたのだ。それどころか、オタクが“一般”化した。
流行り廃りに過敏になり、消費者なのに関連商品の売れるor売れないを気にする。話題になったアニメに目を付けていた輩が勝者を気取り、メインストリームに乗れなかった者を小馬鹿にする。その作品がどれだけ売れていようが、ただのファンには他作品のファンへイキり散らす権利など無いのに。

一体どうしてそんなに他人のことが気になるの?皆それぞれ自分の“好き”を追求する人たちじゃなかったのかよ。他人の消費を逐一観察し、群れずにはいられないのに互いの足を引っ張り合う。
好きな作品がマイナーでも、そのことで他人にけなされても、己の好きを貫き通して耽溺するのがオタクなんじゃなかったか。オタクはいつからこうなった?



では彼らにとって代わられた旧ネット民たちはどこへ行ってしまったんだろうか。
……なんて疑問が湧いたけれど、昔は絶対数が少なかっただけで、多人数で盛り上がることを良しとする人の比率は今と同じくらいだったような気がする。オタク層についても同様だろう。

自らの心に正直に生きると決めた先人たちはどう過ごしたのかな。多人数と一体化する麻薬的な快楽と決別した人たち。
そういう人は少なくともネットでは見つからなさそうだ。がらくただらけのインターネットから探し出す気力も私には無い。